人は何にでもなれるのに。


人は何にでもなれるのに。

人というのは決して平等じゃない。
生まれ持ったもので、後の人生がまるで違う。

資産のある家に生まれた者、容姿の良い者、病弱な者、身体の不自由な者、親に捨てられる者、
どれもこれも、自分が望んだわけでもなく、ただ偶然に与えられる運命。


子供の頃は世界が狭いし、周りの大人達がその事をオブラートに包んでいるから、気がつかない。
友達のお父さんが外車に乗ってても、「こいつの家、良い車乗ってるな」程度にしか思わないし、
身体が不自由な友達がいたとしても、それがそんなに深刻なことだと解らずに、おもしろおかしく
からかってしまう事だってある。


でも、だんだん大人になり、周りが見えてきて、それを比べるようになると気がつく。
その生まれ落ちに優劣があることを。


生まれつき与えられている者の中には気がつかない人もいるが、与えられていない者は確実に気付く。
その人生のスタート地点から差があった事に。

それを深刻に受け止めるかどうかは別として、世の中のほとんどの人間は与えられていない
部類に入るだろう。

でもこれは仕方のないことで、大切なのは、どこの誰と自分を比べるのか、ということ。


「上を見たらキリがない。下を見て生活しなさい」
そう言われた事がある。
そのときは、ぼんやりとだけど、そりゃそうだな、と思った。


でもそれは違うと思う。

人は努力すれば何にでもなれる。


ただその到達点とスピードが、能力と環境によって違ってくるというだけ。


上を見たいというならば、生まれ落ちが悪いからと世襲の同級生を妬むのはそこそこに留めて、
自分で一歩を踏み出せば良いだけのこと。

親から何も与えられなかったのに成功している人間も腐るほどいる。
自分の意思で人生の方向を決め、自分でも満足できる人生だったと思って死んでいけたら、
それがきっと最高の人生というものなんじゃないだろうか。




人は何にでもなれるのに。
会社員の友人の愚痴を聞いていて感じたこと。

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コメント

  1. たこ焼きプリン より:

    私は何になれるのでしょうか

  2. おちけん より:

    何にでもなれます、きっと。

  3. くま より:

    「上を見たらキリがない。下を見て生活しなさい」

    それで納得してしまうと、そこまでなのです。
    それ以上成長しません。
    成長しようとする努力もしません。
    目標さえ持たず、諦めてしまうのです。
    私は上を向いて生きてゆきたいです。


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